子どもたちの学校の行事は全て参加

普段は忙しいけれど、子どもたちの学校の行事などは3人ぶん全員、すべて出ました。
誰かのに出て誰かのには出ない、というのも嫌だったし。最初から予定が決まっているので、スケジュールを押さえておいて、地味なダークスーツでなるべく存在を消して隅っこのほうで見学していましたよ(笑)。家の中では叱ったこともありません。子育ての方針といえるかどうかわからないけれど、子どもが嫌がることはやらせなかった。次男坊なんて運動会に行きたくないとか、なかなか難しい時期もあったけれど強制はしなかった。

それと、これは妻がえらかったと思うんだけど、子どもたちは父親が「五木ひろし」だということを認めていて、小さいころは僕が出るテレビを正座して見ていたんです。それから紅白の時には必ず3人の子どもたちがメッセージを書いて渡してくれて、それを楽屋に置いて読みながら出ていましたよ。子どもが小さいころからそんな関係性がずっとつながっていた感じですね。

妻のさち子さん、犬のチャチャ、ムームーと。「家では僕より犬のほうが立場が上なんです」と優しく笑う(写真提供:五木プロモーション)

子どもたちは、それぞれ留学を経験しています。これは僕ができなかったことをさせたかった、ということなのですが、これから彼らの舞台は「世界」ですよね。
大谷翔平選手の活躍を見ていても、世界だからこそ、あれだけ活躍できるんだなあと感じます。
そういえば、大谷選手と同い年の28歳のとき、僕、ラスベガスの門を叩いたんです。ラスベガスのステージを片っ端から見て回って、やっぱり世界をリードしているショービジネスの世界はこういうものやってるんだと衝撃的でした。

ちょうどプレスリーを日本に呼ぶというプロモーターがいてね。彼を日本に呼ぶ代わりに僕がラスベガスで歌う、という話があったんです。プレスリーが具合が悪くなって結局その話は消えましたが、ちょうど今の大谷選手の年齢だったなあと思い出しました。

今では長男も次男もそれぞれに世界を舞台にした仕事を持ち、家庭を持ち、子どももそれぞれいます。昔、大泉逸郎さんの「孫」という歌を聴いてもちっとも心に響かなかったけれど、今はよくその心境が理解できます(笑)。次男から「おとうさんみたいな父親になりたい」と言われたときはぐっときました。