声をかけ合い、近居が実現

左奥から時計回りに、奈良岡朋子さん、石井ふく子さん、若尾文子さん、京マチ子さん(写真提供:石井さん)

今のマンションで暮らし始めたのは、20年ほど前。きっかけをつくってくださったのは、奈良岡朋子さんです。奈良岡さんとは60年来の仕事仲間。私がプロデューサーをつとめていた東芝日曜劇場に、1957年以来、70作以上も出演していただきました。

奈良岡さんは家を建て替えるため仮住まいを探していたところ、新聞に今のマンションの折り込み広告が入っていたとか。でも忙しくて、物件を見に行く暇がなく、「ねえ、いいマンションができたみたい。あなた、ちょっと見てきてよ」と、親しくしている私に言ってみえたのです。

仕事の合間にモデルルームを見に行ったら、私のほうがすっかり気に入ってしまいました。仕事場のテレビ局にも近いし、リビングルームの窓からの見晴らしもいい。なにより廊下があるのが魅力的でした。それまで住んでいたマンションは玄関を入るとすぐにリビングルームで、廊下のある家に憧れていたのです。“善は急げ”とばかり、その場で入居を決めてしまいました。

すると奈良岡さんは、「私もそこにするわ」。賃貸での仮住まいではなく、本格的に同じマンションで暮らすことを決めました。

それから数年後、京マチ子さんと同居していらしたマネージャーが亡くなられました。京さんがそれを機会に郊外のマンションに移ろうかと考えているとおっしゃるので、「そんな遠くに行かず、ここにいらしたらいかがですか?」とおすすめしました。すると京さんも「じゃあ、そうするわ」とすぐに同意されました。

最後に引っ越してきたのが若尾文子さんです。2007年に黒川紀章さんと死別された後、思い出の詰まった住まいから離れ、気持ちを変えたいと思われたのでしょう。こうして同じ世界で仕事をしている4人が、ひとつ屋根の下で暮らすようになったのです。