柄本さんは渥美清さん、三木のり平さんなどとも交流がありました。

――渥美さんは晩年に近かったけど、年に一、二回「なんか面白いことある?」って電話してきて、僕や笹野高史が出てる芝居を観に来てくれたり、渥美さんと笹野と僕の三人でジャン・ポール・ベルモンドの『シラノ・ド・ベルジュラック』を観に行ったりしましたね。

あのときは一幕終わったら渥美さんがスッと立ち上がったから、僕たちは金魚のフンみたいについて行ったの。そしたらそのまま外へ出ちゃって、「フランス語はわかんないからね」。まぁ、それだけ観てもう、全部わかっちゃったんでしょうね。

それと、別役実さんの『はるなつあきふゆ』って芝居に三木のり平さんが出たのも一緒に観に行って。のり平先生はホームレスみたいな役でゴミ拾いながらブツブツ言って、それがおかしくってたまらなかったけど、渥美さんはひと言、「残酷だね」って。さぁ、どういう意味か。

 

渥美さんはよくわれわれに「見巧者(みごうしゃ)でなくちゃダメだよ」とおっしゃってましたね。

のり平先生とは一度、テレビで親子役をやらせていただきました。先生は因業親父の役で、ただ黙々と自分だけうまい物を食ってる。

そこへ息子役の僕が何か告げ口に行くんだけど、ふっと見たら老剣豪の塚原卜伝(ぼくでん)みたいな、どっからでもかかって来い、みたいな威厳を感じて、完全に殺されました。怖くなりましたね。

まぁ、怖いって感じないやつも、たっくさん、いますけどね。(笑)