「その時俺、こんな場所にいられて嬉しいなぁ、と思いましたね。俺、役者になるのかなぁ、なんか、幸せだなぁ、みたいなね」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続けるスターたち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第15回は俳優の柄本明さん。中村勘三郎さんとの出会いが第二の転機と話す柄本さん。勘三郎さんとの共演の思い出や、渥美清さんとの交流を語ります――。(撮影:岡本隆史)

<前編よりつづく

本物の名優の子女二人にはさまれて

勘三郎さんは柄本さんのことが大好きだったと思う。いつか勘三郎さんが柄本さんと二人で何か芝居を観に行ってきて、「こんなくだらない芝居に両手を上げて拍手してる。あの手を鎌で刈り取ってやりたいね、って(笑)」と、後日私に柄本さんのことを嬉しそうに話していた。それで、『石松』のときは何の役を?

――「どんな役をやりたいですか?」と制作から訊かれたんですよ。そしたら俺、馬鹿でしたね、「『三十石船』に乗り合わせた江戸っ子が、石松と『寿司食いねぇ』『神田の生まれよ』ってやりとりする、あれをやりたい」って言ったんですよ。

あとで出来上がったのを見たら、それ、(出演者の古今亭)志ん朝さんがやってた。みっともないことを言ったな、と思いましたよ(笑)。それで結局、小松村の七五郎という、石松が殺される時に匿う、すごくいい役。で、女房の役が勘三郎さんの姉さん、波乃久里子さんでした。

撮影で京都に初めて行った時に、勘三郎さんが「これからご飯に行くけど」って誘ってくれたんです。久里子さんも一緒でした。そしたらものの5分も経たないうちに二人できょうだい喧嘩を始めた。

その時俺、こんな場所にいられて嬉しいなぁ、と思いましたね。俺、役者になるのかなぁ、なんか、幸せだなぁ、みたいなね。