なんでもいい、働こう

止まらない涙を不思議がる子どもたちに伝える内容としては大人な事情すぎて、”ベランダに消える母”を子どもたちに何度も見せてしまった当時。

ふたりの”チビーズ”を抱きしめて(写真:『だいじょうぶじゃなくてもだいじょうぶ』より)

電話が鳴るたびに恐怖と不安と憂鬱に押しつぶされそうで、逃げ出したくてたまりませんでした。保育園にも実家にもマスコミの方が来る恐怖。何かを話せば事が広がる恐怖。

一方、スーパーのレシートを見ては、脳裏に浮かぶ通帳の数字。子どもたちが選んで持ってくるたったひとつのお菓子の値段にすら敏感になった時、私は「出ていく数字」も「残された数字」も目にすることをやめました。

なんでもいい、働こう。数千円でも、数万円でも。仕事をすればゼロにはならない。

それに、「収入」を得られたら、それは私が私として生きる価値になり、社会に必要とされる証になるのかもしれない。

ありがたいことに、私の前には「(仲間の家の)お手伝いさん」か、「(仲間の親御さんが営む会社の)雑用バイト」の2択のお仕事が現れました。