「信用」を武器に天下人になった家康

やや横道にそれましたが、実際、徳川家康とは「信用」を武器に天下人に登りつめた人物です。

これは決して子どもたちに話すために、無理やり創ったストーリーではありません。ぼくは心底、そう考えています。

信用がある、当時でいうと「律儀な人」である。

家康は周囲からそうした評価を受け、それがゆえに認められていた。そして、律儀だからこそ人気もあった。

徳川軍と朝倉軍は姉川で激しく激突した(沢久次郎 編『[絵本]』〔26〕 太閤記姉川大合戦 中,沢久次郎,明17-20. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2023-04-26))

戦国時代は「強いもの勝ち」な時代。

ですので、戦国大名が盟約を結んだ、といってもそれはとても脆いもの。同盟を破られたくなければ、自分が強くならなければならない。

あいつと手切れになっても利益が損を上回る、と考えられて、理不尽に同盟を破棄されるのも当然のこと。第三者が公平な視点に立ち、ペナルティを与える、という事態はないのです。

そうした厳しい環境にあって、家康は強力な武田家の攻撃に晒されながら、織田信長との清洲同盟を守り抜いた。これはそう簡単に出来ることではありません。