家康を悩ませたい、というのもよくわかるけれど

そこで、ドラマです。

ぼくは長い目で見たときに、家康を先述のように捉えています。だから、たとえば「浅井長政が好き」と個人的な好悪の感情をもとに行動する、といった展開には違和感を覚えてしまう。

もちろん人間ですから、好き嫌いはあるでしょう。でも、人の上に立つ人が、家来の前で露わにしてしまうということが様々な問題につながりかねないのは、現代の会社組織を考えてみてもすぐ分かりますよね。

ぼくも一応、史料編纂所という組織の人間です。そして所長は奥さん。彼女の仕事ぶりを近くで見ていても、トップは戦略をもって動かねばならない。そこでもし感情をもとに進路を定めようとすれば、組織は迷走し、下の人間は困惑する。それくらいは分かります。

確かにドラマのタイトルは「どうする、家康」です。それもあって、毎回「どうする」という選択肢を用意したい、家康を悩ませたい、ということもよくわかります。

ただ、そのタイトルに拘束されてストーリーも引っ張られる、というなら本末転倒です。もちろん、完全なフィクションのコメディドラマ、というのなら良いのかもしれない。でも、視聴者の期待はきっとそこではないように感じています。

あくまで個人的には「信用」を備えた戦国大名・家康だけに、もう少し考えて行動して欲しいな、というのがドラマへの率直な感想です。今回は生意気を言って申し訳ありませんでした。


「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。