また4人で会えるかもしれない
前田 最初は短いメッセージを送ったんだよね?
高橋 そう。「昭次、元気?」ってそれだけ。なんて言えばいいのかわからなかったし、変にグイグイ行ったら拒絶されるかもしれない。繊細に向き合わないとせっかく見つけた糸口が台無しになっちゃうので、本当に恐る恐るという感じだった。そしたら返事が来たから、すぐに健一と耕陽にも連絡して。ふたりともビックリしてたよね、「えっ、昭次見つかったの!? どこにいたの?」「俺もまだそこまではわからない。でもとにかく『元気だよ』って返事が来たよ!」って。
岡本 本当にあの時は驚いた。で、僕も昭次と連絡を取るようになって。
高橋 男闘呼組を再結成しようとか、そんなことはまったく考えてなかった。とにかく「また4人で会えるかもしれない」という、小さな希望が生まれたことが嬉しくて。どんなに細い繋がりでもいいから、絶対になくしたくないと思っていたんだよね。実際に4人が顔を合わせるには、そこからさらに時間がかかったわけだけど。そう言えば当時、僕は健一とも耕陽とも連絡を取り合っていたけど、健一と耕陽は疎遠だったよね?
前田 別に嫌いってわけじゃないよ?
岡本 だって耕陽は仕事ぶりを見ていて、元気そうだな、まあ大丈夫だろうなって思っていたからさあ。(笑)
前田 俺の舞台を観に来てくれたファンの人と、よく「来週、健ちゃんのお芝居観に行きます」「そうなんだ。よろしく言っといて!」みたいな会話をしてたよ。
2019年の春、男闘呼組が主演をつとめた映画『ロックよ、静かに流れよ』(1988年公開)の公開30周年特別上映が行われた。トークイベントに出席した岡本から成田のところに、「男闘呼組の再結成ってどう思う?」と連絡が来たが、成田は「仕事もあるし、ちょっと難しいかな」と返したという。
が、その年の7月にジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏が死去。9月4日に東京ドームで開催された氏のお別れ会で、2人は期せずして26年ぶりの再会を果たすこととなる。
成田 あの時は、健一がすぐに僕のことを見つけてくれたんだよね。
岡本 お互いに「全然変わってないな!」って言い合って。
成田 そうそう。で、その年の秋に、耕陽が舞台の仕事で名古屋に来た。それでご飯を食べて、カラオケに行って。そしたら翌月、今度は健一が名古屋に来た。「この前、耕陽とカラオケに行ったんだよ」と言ったら、「俺も行きたい!」と(笑)。それでまた同じカラオケ屋さんに行って、男闘呼組の歌を歌ったんだ。そのときも健一は「歌えるじゃん! 今度4人でスタジオに入ろうよ!」と誘ってくれて、僕も「まあ遊びでやるなら……」と答えた記憶がある。和也とは電話だけで、まだ会えてはいない状況だった。
岡本 4人が揃ったのは翌2020年の8月。27年ぶりに名古屋のスタジオで顔を合わせた。僕は、何よりもまず音を出してみたいと思っていたんだけど、出した瞬間「これはいける!」と確信して、その時点で男闘呼組のツアーをイメージしてたよ。
高橋 僕は昭次が元気で、しかも僕らと一緒に演奏してるっていうことが、もうね……涙ものだった。
岡本 自分たちもわからなかったからね。ちゃんと演奏できるのかなとか、なんか変な空気になるんじゃないかなとか、ケンカになるかもしれないなとか。いろんなことを考えていたから。
高橋 27年ぶりだもん。自分たちが自分たちにガッカリしちゃったら台無しだから。だから皆、会う前は緊張していたと思う。
成田 でも実際に顔を合わせたら……。
岡本 「おー、久しぶり! 音出そうぜ!」って、一瞬にして大盛り上がり。
前田 その晩は飲んだねー!(一同笑)