別のおばさんは自転車ですれ違いざま、わざわざ私の歩行を妨げるように自転車を止めて一方的に、
「正江ちゃんを産んだお母ちゃんを恨んだらいけんよ。あんたのお母ちゃんもお父ちゃんもええ人なんだから」
と言った。
私が侵されている病名をインターネットで検索すると、私と同じ様相の肌の写真がたくさん出てくる。ときに「閲覧注意」という注意書きが付くことも。画面に映し出された写真を見ると、見慣れた私でさえギョッとなる。
現在、この病気は国の難病に指定されているが、私が子どものころは支援らしきものはなにもなかった。
この肌は恨んでも、親のことは恨まず
私の両親は近親婚であった。この結婚を一番に推していた母の伯母が「あんないい婿さん、私が嫁に行きたいぐらい」と、母に言ったという。
父は中学しか出ていなかったが、姉と私に数学を教えられるほど賢く、社交的で働き者だった。私たち家族はとても仲がよかったし、何不自由なく育ててもらったと思っている。
私は4人きょうだいだったそうだが、1人は2歳、もう1人は生後半年で亡くなった。2人とも姉より上なので終戦直後のこと、田舎という事情もあり、満足に医師に診せられなかったとか。
ただ自分のことがあるので、先天的になんらかの障害があったのではないか、と私は思わずにいられない。結局、真実はわからないが、なにごともなく生まれてきたのは姉1人だったということだ。