あちらへの旅立ちの用意

歩行器を押しながら歩いてサロンにいらした男性は、こうおっしゃいました。

「いまさら手入れしても仕方ないとは思うけれど、鏡に映った自分を見て醜いと感じるようになってきたので、100歳にして生まれて初めてエステを試しに来ました」

ホームの庭で入居者さんたちと一緒に。老人ホームは地域と一体になっている(写真:『70代からのパリジェンヌ・スタイル フランス女性に学ぶ、幸せなシニア暮らし』より)

エステの最中は、お孫さんやひ孫さんのことを楽しくお話しくださいました。最後に頭髪を櫛で簡単に整えて、シャツの襟をきちんと折り返して差し上げると、きりっとした表情になられます。

敬虔なクリスチャンで、その後は毎回ミサの前にサロンに足を運び、身だしなみを整えてからミサに参列されるようになりました。

101歳のお誕生日が間近に迫ったある日、散髪もすませていらしたので、「今日はまた一段と男前ですね。お出かけのご予定ですか」と問いかけると「長い長い旅への出発がもう目の前まで来ているから、あちらでみなさんにお会いしても恥ずかしくないように、準備しているのですよ」とお答えが返ってきました。

片手が不自由なことを除けば、身の周りの事も自分でなされるし、まだまだ十分お元気なのにと意外に感じましたが、彼はすでにあちらの世界に思いを馳せていらっしゃるのです。

「もうどうせこの先長くないのだから」と投げやりに考えるのではなく、「そろそろあちらへの旅立ちの用意をしている」という心情に触れ、最期を迎えるその時まで、ソシオ・エステティシャンとして少しでもお役に立てていることをうれしく思いました。

また別の男性は、ある日私が居室に迎えに行くと、エステを受ける準備ということで看護師に髭をそってもらっている最中でした。

一旦社会の第一線から退き、施設に入居して社交の機会がなくなると、どうしても身だしなみに気をつかわなくなってしまいますが、無精髭を生やしたままでは、面会にいらしたご家族にもだらしない印象を与えてしまいます。

エステのために髭をそるという行為自体がもうすでに、ご自分の外見への関心や社会性を取り戻すことに役立っています。