夫婦も親子も、「わからないのが当たり前」
でも、ヘンな言い方ですが、意識を意識していると、仕事の邪魔になります。自分の意識を外さないと、科学としての客観性が成立しなくなってしまうからです。その手の話を同僚に吹っかけると、「それは哲学の領域だ」などと言われました。
人は、身近な人については特に、「わかりたい」、あるいは「わかってほしい」と思うものです。そういう期待が引き起こす最たるものが夫婦喧嘩。私も若い頃はよく女房と喧嘩しました。
女房は茶道をやっていて、茶花を育てているんだけど、あるとき大事にしていた鉄仙をバッタが食べてしまった。バッタを始末してやると息巻く女房に、「バッタが食いきれないくらい植えろ!」と私が怒鳴って……まぁ、そんなような他愛のないことでした。(笑)
私自身、「わからない」ことに長年ストレスを感じ続けてたどり着いたのが、「わかるわけがない」という結論です。
夫婦も親子も、「わからないのが当たり前」だと思っていると、たまにわかったときに嬉しい。「わかって当然」と思っていると、失望することのほうが多いと思います。