家康の男子として最年長に

ただし、孝の価値に多少の変化が見られるように、兄の地位は日本では絶対ではありません。

公家においても武家においても、お母さんの格が高い子が、兄を差し置いて跡取りに指名される、なんて例もしばしば。何といっても、源頼朝は生まれながらの跡取りながら、三男でした。

前話にて侍女・お万の方が妊娠しましたね。ドラマでは「城を出て、この子を殿の子として恥ずかしくないよう、立派に育てる」と言っていた彼女でしたが、史実としてはこの先、男の子を産むことになります。

家康にとっては二番目の男子。長男の信康にはこの先いろいろありますので、結果的に、家康の男子としては最年長となります。

でも家康は、成人して「秀康」を名乗るこの子を跡取りにはしませんでした。ごく自然に、秀康の後に産まれた三男の秀忠を跡継ぎとして育てた。しかも、まったく考慮した形跡すらない。悩んだ様子がないのです。

秀康の人生については前の記事でも触れましたが、彼は秀吉の人質となったのち、やがて関東の名門である結城家を継ぎ、結城秀康と名乗ります。さらに関ヶ原の戦い後に越前68万石余の大大名になると、結城姓を捨て、松平を称するようになりました。

いずれにせよ、将軍を継げなかった。儒教では尊重されるはずの兄ですが、秀康についてはそうではありませんでした。