余白があると、インディペンデントな存在でいられる

最近は、自身の現実と理想、もしくは想定との差を自嘲気味に嘆く行為はあまり好まれないらしい。無粋を承知で言うならば、自嘲は精神的余白の証でもある。切羽詰まったら自嘲はできない。また、突き詰めれば、世間から攻撃されぬための振る舞いとしての20代の自嘲と、あまりの変容や想定との乖離に呆気にとられつつも自己受容する50代の自嘲は異なるとも思う。

時間的、精神的余裕はないが、自己受容が進んだおかげで生まれた心の余白があるのだ。これも若かりし頃には想像しえなかった。なにかで埋めなければとは思わずにいられる余白があると、インディペンデントな存在でいられる。

インディペンデントとは、思考停止せず、大勢に流されず、生きていくためにやりたくもないことをやらずに済む状態である。運や縁が大きく作用していることは承知だが、ここに至れたことを誇りに思う。と同時に、いつ何時どうなるかわからない社会になりつつあることにも憂いを抱く。


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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇