ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は年齢について。先日誕生日を迎えたスーさんでしたが、現在のような生活を送る”50歳”になることをまったく想像していなかったそうでーー。(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

こんな仕上がりになるとは思っていなかった

50歳になった。びっくりだ。よっぽどのことがなければ50年以上は生きると頭ではわかっていたものの、体感としてはまだ35歳くらいなのだ。我ながら図々しいとは思う。箸で口元に運んだ食べ物に焦点が合わない35歳などいないのだから。

こんな仕上がりになるとは思っていなかったが、40歳になった時も同じように感じた。つまり、60歳になったって同じだろう。還暦という節目を素面で受け止めきれる自信はまるでないが、月日は誰にとっても勝手に等しく過ぎていく。今回だって3秒くらいうろたえ、その後は日々の業務に戻った。感傷に浸っている暇がまるでない。やることは山ほどある。

私が想像していた50歳は、好きな作家の食器をひとつずつ買い集め、休日には銀食器を磨く。旅行先はヨーロッパを好み、クラシックのコンサートやオペラに足を運ぶ。結構な値段の牛肉も買う。副菜は軽く茹でた国産アスパラガスをバターで炒めたものだ。

現実の私は、10年以上前にローソンのシールを集めて入手したミッフィーの皿を常用している。少々重いが、落としても割れも欠けもしないところが良い。カトラリーは買った時期もメーカーもバラバラで、磨く必要がないものばかり。豚肉ならいい値段のものを買うが、自分ひとりがパッと食べるためだけに高い牛肉を買うことはない。副菜は、冷凍ブロッコリーを茹でたものに塩コショウとオリーブオイルをかけただけ。