台所まわりの電化製品を次々に手放した

そう原発事故をきっかけに始めた「超節電生活」がエスカレートして、台所まわりの電化製品も次々に手放すことになったからだ。

電子レンジ。フードプロセッサー。そして極めつけが冷蔵庫。私もまさかそこまでするつもりはなかったのだが、諸般の事情が重なりそんなところまで追い込まれたのである(万一その「諸般の事情」にご興味がある方は、拙著『寂しい生活』(東洋経済新報社)をご参照ください)。

もちろん影響は甚大であった。中でも冷蔵庫がないとその日に食べるものはその日に作るしかない。となると凝った料理など作れるはずもなく、まさかの「メシ・汁」が堂々のメーン。

代わり映えのしないジミーなものを食べ続けるという人生初の事態に追い込まれたのだ。

自ら選択したこととはいえ、最初、自分で作ったソレを見た時は「刑務所?」と自虐的に苦笑いしたことを思い出す。でもそれも今やあまりにも遠い出来事である。

だっていざ始めてみれば案外すぐに、この刑務所みたいな超ワンパターンの食事が「美味しい」という心境に至ったのだ。

しかも、このワンパターン食生活を始めてかれこれ10年近いが、その心境は全く変わらない。つまりはちっとも飽きない。むしろこれが一番美味しい。これ以外のものはできればあまり食べたくない。ってことは、きっと今後死ぬまでこんな食事を食べ続けることほぼ間違いなし。

いやはやなんということでしょう。だってこれが一体どういうことかといいますとですね、私は「炊事」という、おそらくは家事の中でも最も時間とエネルギーを必要とする「キングオブ家事」から死ぬまで、つまりは永遠に解放されたのだ。