満たされぬ思いを抱え続けていた

炊事らしい炊事といえば味噌汁を作るだけだから、鍋に湯を沸かし、残り物を適当に放り込み、火が通ったら味噌を溶くだけ。ほぼ5分。それだけじゃない。料理する人間にとっては「今日のご飯何にしよう」と頭を悩ませる時間とエネルギーが全くもってバカにならないんだが、私はもう1ミリもそんなこと考えなくていいのだ。

だって、何を作るかは今後一生決定事項なのである。

炊事らしい炊事といえば味噌汁を作るだけだから、鍋に湯を沸かし、残り物を適当に放り込み、火が通ったら味噌を溶くだけ(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

ずっと自分は料理好きだと思っていたし、料理は楽しみであり趣味だと思っていた。

だがこうなってみれば、たとえ楽しみだとしても、あまりにも常軌を逸した時間とエネルギーをそこにつぎ込みすぎていたことに気づかざるをえなかった。

しかも思い返してみれば、そこまでの多大なるエネルギーを料理につぎ込みながらも、私はいつだって新たな美味しいレシピを探していた。

あれだけ努力しても、絶えず「もっと美味しいものがあるはず」と満たされぬ思いを抱え続けていたのだ。

でも今は違う。私はこの簡素な食卓にいつも満足している。ここがまさに最終ゴール。どんな「美味しいもの情報」にも我が心はピクリとも反応せず。その平安、楽さ、余裕といったら!

ということはですよ。この全てをまとめますと、今や私は、面倒な炊事からスッキリと解放され、その結果、膨大な時間とエネルギーと平安を手に入れて、しかも、毎日究極にうまいものを食べているということになる。

さらに言えば、毎日同じものを食べていると「食べ過ぎる」ことがないのでダイエットとも無縁となり、しかも結果的にこの食卓はいわゆるバランスのとれた献立ゆえ超健康的。

なので、美容やダイエット情報にも一切興味がなくなった。ここでもさらに時間とエネルギーと平安が生まれたのである。

いやーこれってある意味「奇跡」なんじゃないでしょうか?

私は今や、時間も、エネルギーも、健康も、美味しさも、つまりは全てを手に入れたのだ。

しかも努力して手に入れたわけじゃなくて、全ては努力を手放したことで手に入ったのだ。

間違いなく自分が一番びっくりしている。