「やっぱりブラブラしてないで、熱くなるようなことをやらなきゃ、と思って、なぜか、『あ、演劇だ』と思ったんですよ」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第17回は俳優の佐藤B作さん。福島の飯坂温泉で生まれ、必死で勉強して早稲田大学に入学したという佐藤さん。商社マンを目指していたはずが、熱くなるようなことがしたいと思い立ち、演劇の道に進んだそうで――(撮影:岡本隆史)

人生を知らない若者の大胆さ

その昔の佐藤栄作元首相に対抗してB作を芸名としたことや、1982年から萩本欽一の『欽ちゃんの週刊欽曜日』にレギュラー出演していたことと併せて、お笑い専門の人とばかり思っていた。

それを一挙に覆されたのが95年『たいこどんどん』(作・井上ひさし)。主役の幇間・桃八の熱演ぶりを観て、この人は本格俳優なのだ、と認識を新たにした。

2002年、吉行和子出演と聞いて出かけた『日暮里泥棒物語』(水谷龍二・作)では、劇団東京ヴォードヴィルショーの座長だと知る。そして14年、これも新派の波乃久里子の芸者お梅を観に出かけた『明治一代女』(川口松太郎・作)でのB作さんの箱屋巳之吉。名演だった。

16年、新国立劇場で観た『ヘンリー四世』フォールスタッフ役で、あぁ、シェイクスピア役者でもあったのか!と。

――アハハ、そうでしたか。僕は福島の飯坂温泉で生まれて、親父は果物屋でした。働き者で朝起きるともういないし、起きてるうちは帰ってこない。たまに出会うとおっかない親父でしたけど、酒好きで、晩年はもうアル中ですね。お袋は小学校しか出てないのに勉強家で、漢字なんかよく知ってました。

僕は中学1年の時、全校の弁論大会で2年生、3年生を負かして優勝したんですよ。その原稿は全部お袋が書きました。いい文章で、僕はただ読んで演じただけ(笑)。高校時代は身体を壊すほど真面目に勉強して、第1志望の早稲田大学商学部に一発で合格。商社マンになるつもりが、大学入って2ヵ月くらいで教科書持つのも嫌になりましてね。(笑)