コロナ禍の始まり。スイスの事情

そして、コロナ禍が始まった。

ロレックスだけでなく、スイス時計業界全体が影響を受けた。

ロレックスの「手に入らない」現象は、いまに始まったことではない(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

コロナ禍が進行するなかで、スイスもスイス時計の世界もそこから逃れることはできなかった。

しかもスイスの時計づくりの現場というのは、濃密なチームワークで行われる。

ポツンポツンと時計の街に点在する各ブランドの工房は、それぞれが独立したひとつのコミュニティのような存在だ。

その工房のなかで机を並べ、カフェテリアで昼食をとる同僚たちは、よほど注意しても濃厚接触を免れない。感染は深刻な脅威だった。

一般的にスイス時計の世界は、伝統的に分業によって機能している。文字盤の専業メーカーや、針の専業メーカーの存在意義があるのだが、それらのサプライヤーの規模はそう大きいとは限らない。

そうしたなかで、ほかの業界と同様に、小さなクラスターが散発することへの危機感があった。部品の納入が止まれば、ブランドの生産も滞る可能性がある。そのたびに生産ラインは一時閉鎖、または縮小することを余儀なくされるだろう。

このような状況下で、決して少なくない時計ブランドが英断を下した。クラスターによってもっと深刻な状況が起きる前に、工場を閉めてしまうということだ。つまりは、一時的に生産を全て中止したのである。

もちろん管理や営業の部門は、リモートで在宅作業が可能である。しかしながら時計師たちが、自宅でできることは限られている。それでも、感染を完全に防ぐことはできないにしても、クラスターを事前に鎮静化させようとしたわけだ。

しかもレイオフではなく、従業員の雇用を確保した上で、万全の態勢で生産を再開できるように備えたのである。