カラオケdondon〉の奥まった一室。そこは通称〈バイト・クラブ〉のための部室。ここの部員になるための資格は、【高校生の身の上で「暮らし」のためにバイトをしていること】。あの事件のあった年。僕らはそこに集まっていた。何かをするわけでもなく、誰かに会いたいからでもなく。ただ、自分だけの時間というものがあるというのを感じたかったんだと思う。

菅田三四郎 私立蘭貫学院高校一年生

〈三公バッティングセンター〉アルバイト

 

 たぶんほとんどの子供が、違う人もいるんだろうけど、自分の周りは平和だって思ってるはずだ。

 そんなことを普段から考えるような子供はあんまりいないだろうけど、とにかく波乱万丈なんかじゃなくて平和な毎日を送っているはず。もちろんそうじゃない子供もいるんだろうけど、大体はそうだったと思う。

 でも、そんなことないんだ。

 平和なんてこんな簡単に消えちゃうものなんだ、って思ったのが、中三になる前の春に起こったあの事件。

 僕らが住む埼玉のすぐ隣りの、東京の地下鉄のサリンの、オウムの事件だ。

 クラスは違ったけど同級生の、部活のマネージャーの親戚が、いとこの女の人があの事件に巻き込まれていたことを聞いた。すごく、ショックを受けていた。どうしてそんなことに巻き込まれてしまったんだろうって。

 とんでもない事件が起きた、って周りの大人たちが皆本当に、なんだろう、焦っていたっていうか驚いていたっていうか、今までの自分たちが思っていたものがガラガラガラッ! て崩れ落ちたみたいな感じ。

 そんなふうになっていた。

 親も、先生たちも、周りの人が皆。

 僕も、僕たちも、まだ十五歳で中学三年生になったばかりの子供であるはずの僕らも、そんなふうに感じていた。

 変わりのない平和な日常なんて、こんなふうにあっという間に崩れて消えてしまうものなのかって。そもそも平和という言葉を自分で意識して使ったことなんか、それが初めてだったかもしれないなって思う。

 でも、そのあっという間に崩れた感じと同じように、普段の日常もあっという間に戻ってきていた。

 巻き込まれた人たちじゃない限り、大人たちには毎日の仕事はある。僕たちには学校があって授業も部活もある。ショックを受けようとも不安な気持ちが襲い続けていても、そのまま生活は続いていくんだから。仕事はしなきゃならないし、学校に通わなきゃならない。そもそも、関係のない僕たちは本当に関係ないんだから。