三つの史実
なお、以上の根拠としては
○家康が信康の存在を頼りにしていたためか、ほかに”跡取り候補”となる子を用意していない。
○信康自害後、岡崎の家臣を罪に問うことをしていない。
○四天王の第一であるのに、酒井忠次とその子の家次に、大きな領地を与えていない。家康が亡くなると、二代秀忠はすぐに酒井家に加増している。
この三つの史実が基本になります。ぼくは『三河物語』をベースとする、前々からの説に同意である、というわけです。
そもそも信康の死については、信頼できる史料が少ない。
ですので、どんな解釈をするにせよ、決め手が不足します。だから、この時代をどう捉えるか、というような、大きな視点からの補助線が必要になります。これは仮説に過ぎませんが、ぼくはそれを、武士の「家」観念に求めてみたいと思います。