松本潤さん演じる徳川家康がいかに戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのかを古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第25回では、武田勝頼(眞栄田郷敦さん)により、瀬名(有村架純さん)と信康(細田佳央太さん)の計画が露呈、やがて信長(岡田准一さん)の知るところに。それでも信長の目をあざむき、家康は妻子を逃がそうと決意するが――といった話が展開しました。
一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第44回は「なぜ信康も死ななければならなかったのか」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
なぜ信康まで自害しなくてはならなかったのか
いよいよ前半最大のクライマックス、「築山殿事件」「信康事件」が放送されました。放送開始からどのように描かれるか、注目が集まっていただけに、ネットなどでは大きな話題になっているようです。
しかし、そうなることがわかってはいたもの、やっぱり瀬名さんの最期のシーンは本当に切なかった(涙)。
前話では「奪い合う国ではなく与え合う慈愛の心で結び付いた巨大な国を創り上げる」という瀬名の構想が語られ、実際に動き出しました。
しかし、その壮大な夢は無残にも破れ、信長たちの知るところになってしまった。となると、戦国の苛酷な時代だから、自分の命を代償にせざるを得なかった。
ここまでは分かります。でも信康まで、なぜ一緒に自害しなくてはならなかったのか?
もちろん築山に籠り、母の構想実現を手伝っていたから、ということについてはわかります。ただ本当に、家康の”跡取り候補”だった信康も死ぬ必要があったのか?
ドラマ本編を見る限りでは、この大きな問題にそこまでしっかり触れていないように感じられました。