後日譚がある。
次の日(7月2日)、ツバメはまたいなくなっていたから、本格的に出ていったようだった。ところが熊本、その夜から雨がぶり返し、線状降水帯に突入し、一晩中ものすごい降りとものすごい雷がうち続き、犬たちは、怖ろしくて怖ろしくて生きた心地もなく、つきあいのいいメイは一緒にうろうろしていたが、テイラーは窓際に座り込んで見ていた。たまやーかぎやーと心の声が聞こえた。そしてあたしは一晩中、ツバメたちのことを考えていた。
犬の死を思い出していた。クレイマーの前の犬、タケというジャーマン・シェパードが、人間なら90歳くらいに老いて死ぬのを傍でずっと見つめていたのだが。それでわかったことがある。犬は、死ぬことを考えない。死ぬその瞬間まで、ただ生きることしか考えない。
だったらツバメも同じだろう。「何たる不運か、こんな荒天の中で巣立ちしちゃって、来世は穏やかな自然の中で生きてみたい」とか「せめて繁殖してみたかった」とか「短期間だったが、あのすーいすーいと飛ぶ快感を経験できたから満足だ」とか、そんな思いはこれっぽっちも持ちゃしない。ただ生きる。落ちる瞬間まで生きるのだ。そしてそれなら、何もかもしかたがないことなのだ。そう考えて、ツバメたちの運命を悼む気持ちを抑えていたのだった。
ところが翌朝(7月3日)、雨はまだ激しく降り続けていたのだが、なんと、また巣の中に、3羽がちょこんといるではないか。
野生の力の頼もしさにあたしは驚嘆し、うれしくてたまらなくなり、雨の中、ホームセンターまでひとっ走りして、「生き蚊キット」かなんか買ってきてやろうかと思ったのだが、殺すキットは売ってても、生き蚊は需要がないから売ってない。
しかしさすがだ、ツバメ3姉妹。無謀な長女は無謀なだけでなくちゃっかりしていて、慎重な次女は〈引く〉も厭わず、夢を持って生きたい三女はどこまでも合理的だった、ということか。
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米国人の夫の看取り、20余年住んだカリフォルニアから熊本に拠点を移したあたしの新たな生活が始まった。
週1回上京し大学で教える日々は多忙を極め、愛用するのはコンビニとサイゼリヤ。自宅には愛犬と植物の鉢植え多数。そこへ猫二匹までもが加わって……。襲い来るのは台風にコロナ。老いゆく体は悲鳴をあげる。一人の暮らしの自由と寂寥、60代もいよいよ半ばの体感を、小気味よく直截に書き記す、これぞ女たちのための〈言葉の道しるべ〉。