演劇とは何だろう

そして第3の転機は、渋谷のシアターコクーン芸術監督就任ではないだろうか。それがのちに長野県松本市のまつもと市民芸術館にもつながっていく。

――そう、コクーンとかかわったことで勘三郎(十八代目)にも会えたし、歌舞伎にかかわれたことも大きい。その後の松本とのかかわりも僕にとって大きいから、やっぱり「芸術監督」だろうね。

勘三郎さんは十代の頃から六本木の自由劇場によく観に来てくれたし顔見知りだったけど、松竹から「若者の街、渋谷のコクーンで歌舞伎を」という話があって、改めてこんぴら歌舞伎で彼が『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』をやってる時に観に行ったんだ。そしたらに、楽屋やら奈落やらあちこち興奮しながら案内してくれてね。

帰ってすぐ、われわれがコクーンで『三文オペラ』をやっている時に観に来て、「是非こういうところで歌舞伎をやりたい」となって、それが第1回コクーン歌舞伎の『東海道四谷怪談』(94年)。この時はまだ演出というよりもアドバイザー的な立場だったね。

第2回の『夏祭浪花鑑』、第3回の『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』と本式の演出になるんだけど。