100歳を過ぎてもひとり暮らしを続ける姿が、「人生100年時代のモデル」として注目を集めている石井哲代さん。反響の大きかった前回に続いての登場で、来し方を語ります(構成:野田敦子 撮影:福森クニヒロ)
週に一度の「仲よしクラブ」
舅に続いて姑を看取り、56歳で定年退職して、ようやく肩の荷が下りました。それまでは、隙を見せないように鎧を着けていたんでしょうな。「あの家には子どもがおらんけん」と陰口を言われたくない一心で。いつも心の底に「やりたくないけど、やらねばならない」という葛藤がありました。今からは想像もできないぐらい尖っていましたねえ。
自分で自分を励まして、奮い立たせなくちゃあという思いは、昔からありますね。
あれは、確か53歳のとき。便利な農機具が農家に普及したもんで、暇を持て余すようになった村のおばあさんたちが何人も、田んぼの畦道に座り込んでぼんやりしとる。これはいかんと思い、「みんなで集まりましょうや」と声をかけ、「仲よしクラブ」が始まりました。
現役の教員だった私が指揮棒を振り、みんなは家から音の鳴るものを持ってきて、棒で叩いて大合唱。楽器なんてないから、孫のおもちゃの木琴やでんでん太鼓、卵焼き器とか、そんなもんです。それでも、みんな夢中になってね。
当時のメンバーは、私より年上の明治生まれ。子どものころから働き詰めだった。初めて手にした自由な時間が、よほどうれしかったんでしょう。
あれから50年。今も週に一度は集まって大正琴の演奏やおしゃべりを楽しんでいます。亡くなった仲間や家族の名前を包装紙の裏に書いて壁に貼り、年に一度、みんなでお経を上げる「偲ぶ会」も開きます。
一人が背負える悲しみには限界があるでしょう。「偲ぶ会」は、みんなで悲しみに立ち向かい、乗り越えていくための会なんです。