出産は女の神秘でもなんでもなく、生活と地続きで、女は妊娠したからといっていきなり「母」になるわけではない。ゆっくりと起きる体の変化に従い、ゆっくりと母になるのだ。

それと同じで、男の側も子どもが産まれていきなり父になるのではなく、同じくらいにゆっくりと段階を踏んで父になるプロセスがなければ、夫婦二人の子育ては回ってゆかないのではないか。

私たちは「親のなり方」を知らない。一度か二度、パパ学級で沐浴のやり方を学んだくらいでは父にはなれない。女だけが先に「母」になり、男があとからついてくる、そのやり方ではもはや機能しないぐらいに、日常の在り方が、社会の仕組みが、生命の在り方からもはや逸れはじめている。

 

私たちは今まで以上に会話を増やした。

夫を気遣ってこれまで口に出さなかった悩みを、夫に打ち明けはじめた。産後、仕事に復帰できるかわからず不安であること、産後のいちばん大事な時期を二人だけで乗り越える自信がないこと。「母になる」ことへの戸惑い。夫は根気よく聞いてくれ、また、彼の不安についても打ち明けてくれた。

話すうち、私はなぜ彼と結婚することにしたのかを思い出した。自分が一人では生きてゆけない未熟な人間だと痛感したから結婚したのだ。完璧な人間同士ならむしろ、一緒にいる必要などない。不完全な人間同士が、寄り添って生きるためにつがいになったのだ。

「母になる」「父になる」前に、私たちはまず、互いのパートナーにならなければいけなかったのである。他ならぬ、自分たちのために。

 

※本稿は、『わっしょい!妊婦』(著:小野美由紀/CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。


わっしょい!妊婦』(著:小野美由紀/CCCメディアハウス)

がんばれ、生きろ。どすこい女!
すべての女にハードモードな社会で、子を産むということ。

35歳、明らかに〈ママタイプ〉ではない私に芽生えたのは「子どもを持ちたい」という欲望だった。このとき、夫45歳。子どもができるか、できたとしても無事に産めるか、産んだとしてもリタイアできないマラソンのような子育てを夫婦で走りきれるのか。それどころか、子どもが大きくなったとき、この社会は、いや地球全体は大丈夫なのか? 絶え間ない不安がつきまとうなかで、それでも子どもをつくると決めてからの一部始終を書く妊娠出産エッセイ。