「できない」自分になっても、世界は続くし私は生きている。妊娠によって、急にY軸のみだった世界、一次元的だった世界が、奥行きを持って開けた。
世界は同質の存在が順位を競い合っているだけの場所じゃない。XとYのはざまで、序列のつかない異質な存在同士が、肩を寄せ合い、散らばりながら面をつくっている。
私は弱くて狭量で、自分勝手な人間なので、もしこの経験がなかったら、きっと一生、Y軸のみの価値観の中で、上だけを見て生きていただろう。老いて、体が弱ってから、やっと自分が見ていた世界の狭さに気づいただろう。
この経験を経て、私は「老い」が怖くなくなった。
自分の「できない」を許すことで、他人に優しくなった。
自分も、社会も多面体であり、決して一元的な価値観の中では計れないことを、私は身体的弱者になって初めて知ったのである。