以前であれば、できる限り早く家に帰ることを考えただろう。でも今は速く歩くことができない。できないから代わりに、お腹の子と一緒に雪の冷たさや匂いを感じながら、瞬きで雪を振り払いながら、降る雪の一粒一粒がわかる速さで歩いた。この瞬間は二度と訪れないのだ、と実感しながら。

 

ふと、この景色を見られる自分は、なんてしあわせなのだろう、と思った。

 

体調は最悪だし、体は不自由だが、お腹の子がいるおかげで、私は今、この景色を見ることができた。それまで感じることのなかった豊かな時間が「できない」とともに生活に侵入しはじめた。

こんな忘れられない一瞬が、日常の中にふとした時に何度もやってくる。妊娠しなければ、こんなふうにはきっと思わなかった。まっすぐ前だけを向き、自分のゆく手以外に関心を払うこともなかった。

ねぇ赤子、あなたの生まれてくる世界は、厳しいかもしれないけど優しいかもしれないよ。だからもう、どんなふうに生まれてきてもいいよ。私があんたの「できない」を全部引き受けるし、そういう世界をできるだけ見せるよ。だから安心して生まれておいで。

そう思いながら、私は冬の盛りの街を、産む手前のいちばん静かな時の中を、娘と一緒にゆっくりゆっくり、歩いたのだった。
 

※本稿は、『わっしょい!妊婦』(著:小野美由紀/CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。


わっしょい!妊婦』(著:小野美由紀/CCCメディアハウス)

がんばれ、生きろ。どすこい女!
すべての女にハードモードな社会で、子を産むということ。

35歳、明らかに〈ママタイプ〉ではない私に芽生えたのは「子どもを持ちたい」という欲望だった。このとき、夫45歳。子どもができるか、できたとしても無事に産めるか、産んだとしてもリタイアできないマラソンのような子育てを夫婦で走りきれるのか。それどころか、子どもが大きくなったとき、この社会は、いや地球全体は大丈夫なのか? 絶え間ない不安がつきまとうなかで、それでも子どもをつくると決めてからの一部始終を書く妊娠出産エッセイ。