けいこをしたがらなかったやすしさん

昭和21年、ヘレンは京都に生まれました。お父さんはアメリカの人。ヘレンが産まれてから、アメリカに帰りました。戦後、アメリカ人の顔をした女の子が街を歩くだけで、あらゆる視線が刺さります。学校でも壮絶ないじめを受けた。その子がお笑いの世界に入って、なんとか自分の世界を切り拓いた。

それを自分のことで潰すわけにはいかない。その思いで、やすしさんとの漫才を始めました。

やすしさんはね、天才漫才少年と言われるくらいの人でした。ただ、けいこをしたがらない。才能がある、ないというのはあるんでしょうが、僕は漫才に天才はないと思っています。

天才落語家、天才歌手はいるかもしれませんけど、漫才は2人でやることです。なので、絶対にけいこをしないとコンビの完成度は上がらない。それを何回も言いましたが、それでもけいこをしたがらない。

おそらく、それまでの相方さんも苦労されたでしょうし、だから4回解散されたんだろうなとも思いました。ただ、僕はもうこれで成功するしかない。僕の母親も、ヘレンも、路頭に迷わすわけにはいかない。その一心で、けんかしてでも、何をしてでも、けいこをしてもらいました。

人気絶頂だったやすきよの漫才(写真提供◎吉本興業)

幸い、漫才で皆さんに認めてもらって、たくさんのお仕事もいただきました。ただ、その中でもやすしさんにトラブルがあって、2年4ヵ月ほど僕一人で仕事をする時もありました。