ほぼ連日のように出撃を重ねた

4月14日、土方が率いる元山空零戦隊は乗ってきた零戦ごと、鹿児島の鴨池(かもいけ)基地で作戦中の二〇三空戦闘第三〇三飛行隊に編入するとの指令を受けた。

戦闘三〇三飛行隊長は、真珠湾攻撃以来歴戦の岡嶋清熊(おかじまきよくま)少佐で、隊員にはベテラン搭乗員が揃っている。

「先に転勤していた同期生から戦闘三〇三のことをいろいろ教えてもらいました。

岡嶋少佐は隊員みんなから尊敬されていて、さばけた面もある代わり、間違ったことをするといきなり拳銃をぶっ放すから用心しろ、と言う。岩本徹三(いわもとてつぞう)少尉は、ライフジャケットの背中に『天下の浪人虎徹』と書いてあるからすぐにわかる。見かけは田舎の爺さんみたいだが、いったん空に上がれば向かうところ敵なしの、古参の撃墜王であると。

先任搭乗員の谷水竹雄上飛曹、元山空から一緒に転勤してきた山口浜茂上飛曹、西兼淳夫上飛曹らも歴戦のつわもので人柄もよく、教わることが多かったですね」

『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人々は何を語ったか』(著:神立尚紀/講談社ビーシー)

戦闘三〇三飛行隊は、沖縄方面の敵機掃討、特攻隊直掩、九州に来襲する敵機の邀撃など、連日のように出撃を重ねた。4月22日、土方は敵戦闘機グラマンF6F一機を撃墜。

現存する航空記録を見ると、沖縄戦の期間中、ほぼ連日のように出撃を重ね、酷使されているのが見てとれる。