一寸先は闇、その闇は神のみぞ知る世界
「ある日、朝から邀撃に上がり、燃料、弾薬の補給に着陸、プロペラを回したまま機上で弾丸の補充を待っていると、まだ10代の若い二飛曹が主翼に駆け上ってきて、『分隊士、交代します!』と元気のいい声で叫びました。『大丈夫、まだ疲れていないから、俺が飛ぶよ』と言っても彼は引き下がらず、私の肩バンドを外しにくる。
ついに根負けして交代し、彼はニッコリ笑って離陸していったんですが、ちょうどそのとき、グラマンF6Fの編隊が上空から突っ込んできて……彼の機は一瞬で火だるまになって鹿児島湾に墜落した。私は呆然としてそれを見ていました。一寸先は闇、その闇は神のみぞ知る世界なのだろう、というようなことをふと考えました」
5月11日、「菊水六号作戦」が実施され、戦闘三〇三飛行隊は、特攻隊の前路掃討のため、稼働全機、32機で出撃した。
「指揮所にはZ旗が高々と掲揚されます。やはりこの旗が掲揚されると、気持ちが高揚しますね。指揮所付近には基地の人々が並び、帽を振って見送ってくれます。それに手を振って応えながら、編隊で離陸していくときの気持ちは、何とも言えません。戦闘機乗りになって良かったなあ! というのが偽らざる気持ちでした。
空戦は、沖永良部(おきのえらぶ)島を過ぎたあたりで始まりました。上から降ってきたのはグラマンF6Fの編隊です。
あっという間に混戦になりました。味方機が散り散りになり、私の列機も付近には見あたらない。とにかく、大きくスローロールをうちながら、半分以上は後ろを見ながらの操縦でした。
敵機の主翼前縁いっぱいに12.7ミリ機銃六艇の閃光が走ったかと思うと、翼の下に機銃弾の薬莢が、まるですだれのようにザーッと落ちるのが見える。体をひねり、首をいっぱいに回して後ろを見ながら、敵機の機銃が火を噴くと同時にフットバーを蹴飛ばし、フットバーとは逆方向に操縦桿を倒し、機体を急激に滑らせて敵弾をかわす。
横滑りのG(重力)で、体が操縦席の片側に叩きつけられますが、そうしないと命がない。空戦は、命を賭けた殴り合いの喧嘩だと思いました」
同期生や、元山空から一緒だった戦友たちも次々と空に散ってゆく。
「戦闘機の戦いは、映画で見る陸軍の戦いのように、血だらけになった相手の顔を見るようなことはありません。青い空、白い雲、そびえ立つ雲の塔が舞台で、その中で自分の技倆で精一杯の操作で飛び回るのが空戦です。
狂女が髪の毛を振り乱して乱舞するような形で、黒煙を吐きながら、被弾した飛行機が青空に大きな弧を描いて墜ちていきます。海面には、撃墜された飛行機の油が円形になって浮かんでいます。
いつかは、俺もあのように終焉を迎えることになるな、とは思っていましたが、それは、実感として迫ったものではありませんでした。飛び立つときは、必ず還ってくると思っていました。しかし、戦いの日々が重なると、夜半に目が醒めると汗がびっしょりで、雑念が浮かんでなかなか眠れないこともありました」