幼少期の林さん(手前左)とご両親と妹(写真提供◎林さん)

そしたらうちの松若という弟子が、「ぼんはずっと黒衣(くろご)でついてたので、台詞も立ち廻りもできますよ」って、三津五郎さんに言った。

それで呼ばれてやってみせたら、「よし、この子にやらせよう」ってなって。村娘よりこっちの役のほうがよほど気持ちよかったし、それで認められてからは、ずっと役がつくわけですよ。

『傾城反魂香』(通称「吃又」)が出たら修理之助とか、『紅葉狩』なら壽海さんの維茂の従者。右源太が鶴之助(のちの富十郎)さんで僕が左源太とか。京都顔見世で十七代目(中村)勘三郎さんが『助六』をなさった時、僕を福山のかつぎに指名して出してくださった。

そしたら孝夫(現・仁左衛門)ちゃんが焼きもち焼いてね(笑)。だって『ぢいさんばあさん』の若夫婦とかも(片岡)秀太郎さんと僕ですから。本来なら秀太郎・孝夫の役ですからね。

だからまぁ第1の転機というのは、遅い初舞台で役者の醍醐味を知った、ということですかね。