ドラマの最終回は、私とお仙が霧の中に消えて行く後ろ姿でエンドマークだったんですよ。それを一緒にテレビで見ていた長谷川が、僕のことを振り返って、「このお前のシーンのために主役の俺は出てたのか」って、機嫌悪くしてね。「お前な、日本中の男優を敵に回したよ。俺も敵に回したな」。これ、いまだに僕の「言葉の勲章」ですね。
そしたら上京以来電話にも出てくれなかったおじいちゃんが、「お前、東京へ行ってよかったなぁ」って、電話くれました。
「堀田隼人」が第2の転機となるのは間違いないところ。翌年のヴァレンタインはチョコレートの山に埋まったとか。
――「鎌倉市、堀田隼人様」という宛名だけで、トラックで運ばれてくる。16畳の応接間がチョコレートで埋まって歩けないくらい。住所のわかる3000通くらいには、母親が宛名書きしといてくれたハガキに僕が「ありがとうございました。林与一」というのを毎晩。もう、腱鞘炎の一歩手前くらいになりました。
あの頃、僕が長谷川一夫の落とし子じゃないかという噂が立って、「週刊誌にも載ったけど、本当に違うの?」って母親に訊きましたよ。母は北見禮子っていう女優で、一時期、長谷川の相手役でしたからね。そしたら「馬鹿言うんじゃないよ、お父さんの写真見なさいよ」って、両親と僕と妹で撮った写真を見せられました。(笑)