「ひばりさんは僕より5つ歳上でしたけど、好きでしたね。あちらも僕を嫌いじゃなかったと思う」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第19回は俳優の林与一さん。東京でドラマに出演し、大人気となった林さん。大女優達との共演もたくさんあったそうで――(撮影:岡本隆史)

<前編よりつづく

歌舞伎界に戻っていたかも

それで、第3の転機は美空ひばりさんとの出会いでは?

――ああ、そうなりますかね。ひばりさんの側から僕を相手役にしたいって、東宝に依頼がありました。僕は最初、「新宿のコマ劇場で歌い手さんの相手役」と聞いて、「出ない」って言ったんですよ。

そしたら長谷川が、「お前、断ったそうだけど、美空ひばりの看板の次に来るんだよ。これを逃したらそんなチャンスがいつ来るか」って言われて、出ることに。

川口松太郎さんがお書きになった『女の花道』っていう芝居でした。堀田隼人の翌年でしたから、僕が出るとやっぱり手(拍手)が来るわけですよ。連日すごい大入りで、通路に立ち見まで出ました。ひばりさんは千秋楽の3日前に(小林旭さんとの)離婚を発表なさってね。袖で見てたら「ひばりは皆さんのところへ帰って来ました」って。それも大歓声、大拍手でした。

ひばりさんは僕より5つ歳上でしたけど、好きでしたね。あちらも僕を嫌いじゃなかったと思う。でもお母さんの加藤喜美枝さんは、もう結婚はさせたくないと思ったのか、ことごとに仲を阻まれました。

あれは名古屋のお座敷でのこと。ひばりさんが都々逸を歌ってね。

世の中に私の好きな人ただ一人年も言えなきゃ名も言えぬ言えば世間が邪魔をする

って、最後に僕の顔をチロッと見るんです。

「お嬢、あれは与一への歌かい?」ってお母さん。「違うわよ、ただ歌ったのよ」と、ひばりさん。

コマ劇場での美空ひばりの相手役は、5年で僕のほうからやめさせてもらいました。