「役者ってこんなに気持ちいいんだ、って思って、おじいちゃんに〈役者やります〉って言いました」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第19回は俳優の林与一さん。関西歌舞伎の家柄に生まれた林さんは、子どもの頃肺結核にかかり、15歳で遅い初舞台を踏む。その後は順調に役をこなした林さんだが、19歳の時に上京を決意し――(撮影:岡本隆史)

遅い初舞台で役者の醍醐味を知った

伝説的大河ドラマ『赤穂浪士』(1964年)の超イケメン浪人、堀田隼人役で一躍全国にその名を轟かせた林与一さん。曽祖父が「頬冠りの中に日本一の顔」と謳われた初代中村鴈治郎、祖父が林又一郎という関西歌舞伎の家柄に生まれ、15歳で遅い初舞台。その後の波瀾に満ちた役者人生は、さながら大河ドラマを観るようで。

――ええ、初舞台が遅かったのは私が小学校1年~同級生に田村正和がいましたけどね~その後半から肺結核になって、3年間寝てましたのでそのせいです。

父親も役者でしたけど、兵役に取られて、私が3歳の時に戦死してしまったので、初舞台は又一郎の孫としてです。1957年5月の大阪・千日前の歌舞伎座で今東光さんの『お吟さま』、村娘の役でした。

稽古の時はやりたくないのいやだのと言ってたのが、初日に出たら「成駒屋~」。わぁー、って拍手もらった。役者ってこんなに気持ちいいんだ、って思って、おじいちゃんに「役者やります」って言いました。

この初舞台の月のトリ狂言が『白浪五人男』で、「浜松屋」の弁天小僧は市川壽海さん、日本駄右衛門は十三代目(片岡)仁左衛門さん、南郷力丸が八代目の(坂東)三津五郎さん、それで「勢揃い」になると忠信利平が實川延二郎(のちの延若)さん、おじいちゃんが赤星十三(郎)で加わるんですが、風邪気味だったおじいちゃんが、千秋楽には熱で立ち上がれなくなった。