垂れ流し列車トイレの問題
1950(昭和25)年9月、当時の徳島医科大学(現・徳島大学)教授の岡芳包(おかよしかね)博士と徳島鉄道病院鼻咽頭科医長の片岡義雄(かたおかよしお)医師らが、走っている列車のトイレから赤インクを垂らし、レール沿いに置いた白い紙にどのように付着するか調査を実施しました。
その結果、平地で走っているときはレール沿いにインクが落下するが、列車のすれちがい時やトンネル、鉄橋の走行中にはレール上には落下せず、窓や列車の雨どい部分まで舞い上がることが報告されました。
汚物の飛散状態を示した結果は1951(昭和26)年4月と1952(昭和27)年5月の日本交通災害医学会総会で「列車便所に関する研究」として発表されました。
当時の国鉄は路線の延長や新車両の開発などに予算が組まれ、トイレの改良・改善には手が回りませんでした。
藤沢市都市衛生行政協議会は東海道本線を通過する列車が上り81本、下り80本の合計161本の列車から撒き散らされる汚物は44キロリットルにも及ぶとして、当時の国鉄に対策を要望しました。