清水さん「当時、汚物は列車から垂れ流しでした」(写真提供:Photo AC)
列車にトイレが設置されているのは、いまやあたりまえ。しかし開通当時からトイレ設備があったわけではなく、試行錯誤の時代を経て、ようやくいまの形となっています。そのような列車トイレについて調べ、筆を執るのは、NPO法人21世紀水倶楽部の顧問を務める清水洽さん。清水さんいわく「昔、汚物は列車から垂れ流しだった」そうで――。

鉄道の開設時

1872(明治5)年、新橋~横浜間の鉄道が開設しましたが、車両にはまだトイレ設備はありませんでした。

1873(明治6)年4月、荒物渡世・増沢政吉(ますざわまさよし)が横浜駅到着前に尿意をもよおし、列車の窓から小用をしたのを鉄道員にとがめられ、東京裁判所で当時の金額で10円の罰金を科せられました。

1881(明治14)年11月19日の東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)には「横浜駅から乗車したお客が窓から尻を突き出しプーと一発かましたため罰金5円を支払う」との記事が載っています。

1889(明治22)年4月27日、宮内省の肥田浜五郎(ひだはまごろう)が藤沢駅でトイレに行ったところ列車が発車してしまい、あわてて飛び乗ろうとしたが乗りそこない、転落・死亡する事故が起きました。

当時、肥田は政府の高官であったため、新聞社がこぞって列車トイレの必要性を書き立てました。

日本でのトイレ付き車両は英国から輸入した明治13年製の北海道幌内鉄道の開拓使用客車の車両でした。