小田原~藤沢間の「黄害」

新幹線が開通する前の東海道本線では九州、大阪からの夜行列車が朝に横浜駅や東京駅に到着する前に乗客は小田原~藤沢間で目を覚まし、トイレに向かいました。

そのため、この区間の「黄害(おうがい)」は有名でした。当時は11~14両の夜行列車が14、15本この区間を通過していました。寝台車の定員の半数がトイレに行くことを考えると20名×11両×10本=2200人分の汚物が毎日この区間に投棄されることになるのです。

また、山陰本線餘部(あまるべ)鉄橋の下の住民からは、列車から撒き散らされる汚物、ビン、弁当箱などの被害が報告されています。

その一方で国鉄事務局は垂れ流し管の改造に取り組み、1951(昭和26)年4月16月に大宮~高崎間で改良型流し管のテストを実施しました。

マロネフ591の汚物流し管(図1)は単純に真っ直ぐ汚物をレールに落としていましたが、1934〜37(昭和9〜12)年のスハ32系では臭気抜き器付き汚物流し管を取り付けました。

(図1)マロネフ591の汚物流し管(交通科学館にて)(写真:『列車トイレの世界』より)

臭気抜き器は、進行方向から空気が臭気抜き器に入り、汚物流し管に下向きの空気の流れをつくります。この空気の流れによるベンチュリー効果*1で便器は負圧となり便器の臭気が系外に吸い出されます。

1950~52(昭和25~27)年のスハ43系では、汚物の飛散を小さくするため、流し管を車体中央線側に925ミリメートル寄せ、さらにレール面に195ミリメートルまで延長するなどの改造を実施しました。

*1 真空式トイレと同じ原理で空気の流れを狭くすることで(ベンチュリー)負圧をつくり、この力で臭気ガスを取り除く。