このように、食卓のテーブルや椅子は、当人たちの意を超えて家族関係の変化やその本音を露骨に物語ってしまう。だが、それが本当に怖いのは、一度テーブルや椅子などハード面の変化となって顕在化すると、そこに表れた家族の関係や変化も戻り難いものとして規定され、さらに拍車をかけてしまうことである。

その意味で、個々の「自由」をとりわけ指向する家庭の中には、結婚当初から「ダイニングテーブルはない」家もすでに複数出現していることは、これからの家族を考える上で見逃せないだろう。

食卓追跡調査はこのように、互いの自由を優先させようとする様々な行いが、今日の「家族」を大きく変えつつあることを示している。むしろ、家族の食卓(食べ物や食べ方)の変化は、その表れに過ぎない。

私たちは「個」の尊重を目指しながら、いつの間にかそれとは似て非なる超「個」のせめぎ合う時代へと突き進み、家族の在り方も激変させている。理想としてきた家族の姿もすでに限界に達しつつあるのか、その象徴であった「食卓」はダイニングルームに置き忘れられたように取り残され始めている。

 

本稿は、『ぼっちな食卓――限界家族と「個」の風景』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


ぼっちな食卓――限界家族と「個」の風景』(著:岩村 暢子/中央公論新社)

親も子も自分の好きな食べ物だけを用意する。朝昼晩の三食でなく、好きな時間に食べる。食卓に集まらず、好きな場所で食事をとる。「個人の自由」を最も大切な価値として突き詰めたとき、家族はどうなっていくのか――。少子化、児童虐待、ひきこもりなどの問題にも深くかかわる「個」が極大化した社会の現実を、20年に及ぶ綿密な食卓調査が映し出す。