現在この路線があったら便利だったに違いない

パンフレットには塹壕の中を快走する電車のイラストが配置されて印象的だが、次のページには山手線の外側を4分の3周ほど回る形の予定線が大きく描かれている。

この太い赤線は、当時相次いで建設され、すでに現状に近づいていた都心からの放射状鉄道とそれぞれ交差しており、もし現在この路線があったら便利だったに違いない。

『地図バカ-地図好きの地図好きによる地図好きのための本』(著:今尾恵介/中央公論新社)

大まかに言えば西側は環状七号線、東側は明治通りに沿ったルートで、JR京浜東北線の大井町を起点に北西ヘ進み、東急池上線・目黒線・東横線・田園都市線、小田急線、京王線、JR中央線、西武新宿線・池袋線、東武東上線、JR埼京線、東武伊勢崎線、京成押上線、JR総武線(線名はすべて現在)などとそれぞれ交差する想定であった。

そこから南下して終点が洲崎(すさき)遊廓の前(現・東陽一丁目)というところが現在と違う感覚ではあるが、そこから東京駅までは東京市が計画した地下鉄予定線が描かれている。

山手線とは田端(後に駒込に変更)で接続するため、一定の距離を隔てたその外側を回っているわけではないが、放射状の鉄道と連絡が実現すれば、都心から郊外への移動にとどまらず、さまざまな短絡経路が可能になり、利便性は大きかったはずだ。