東京山手急行が計画された背景

そもそも東京山手急行が計画されたのは、東京市とその周辺エリアの人口急増が背景にある。

パンフの趣意書の冒頭にも「近年東京市の近郊急激に発展したる結果、省線山手線の乗客激増し、朝夕の如きは其雑沓寧ろ凄惨にして、何人も第二山手線の出現急務なるを痛感せざるものなかるべし」とあるが、周辺町村の大正9(1920)年から昭和5(1930)年までの10年間の人口の変化を見ると、たとえば杉並町(杉並区)が5632人から7万9193人と約14倍、荏原町(品川区)は8522人から13万2108人の15.5倍というケタ外れの急増で、その「凄惨」ぶりを証明している。

人口減少が本格化し、経済も伸び悩む現在と違って、人口急増はインフラ投資には絶好の条件だ。

株式募集のパンフであるから、その宣伝文句は投資家にとって得になりそうなことばかりが並んでいる。さすがに100年近い歳月が経過しているため、現在の感覚とはだいぶ異なるが、裏面に並ぶ小見出しには「山手急行は**電車なり」という形で**の部分をほぼ入れ替えた形の12項目が並んでいる。

個々に挙げれば、串刺電車(放射状の鉄道を串刺し)、宝蔵電車(投資家にとって儲かる場所ばかり通る)、工場電車、通学電車、遊覧電車、花柳電車(!)、水陸連絡電車といったもので、どれだけ魅力的な鉄道かを挙げながら、最後には「初年度より高率の配当可能なり」と結んだ。

なかなかの宣伝文句だから、きっと「戦時成金」たちの心をぐっとつかんだに違いない。