9月13日放送の『林修のニッポンドリル』は、「学者と巡るJR山手線・第3弾」!日本最大の環状線であるJR山手線を、開業駅順に紹介します。都内での生活にかかせない山手線ですが、半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表などを集めてきた地図研究家の今尾さんが「もし現在にあったら便利だったに違いない」という、”東京山手急行”計画が昭和2年頃にあったようで――。
幻の高速鉄道! 山手急行電鉄
「塹壕(ざんごう)電車」といっても、現代人は首を傾げるに違いない。
下の図は昭和2(1927)年頃の「東京山手急行電鉄株式会社 株式募集」のパンフレットに印刷されたものであるが、数年前に古書店でたまたま発見した。
中を読むと線路の大半を「塹壕式で建設」すると謳っており、他の鉄道・道路とは立体交差するので安全に高速走行が可能であり、周辺の人口が増えたらその塹壕にフタをして住宅地や道路にすれば、土地の有効利用で利便性が上がる。
塹壕を掘った土で湿地を埋め立て、そこも住宅地にすれば一石二鳥、と調子のいい口上が続く。塹壕式は最初の建設費こそ嵩むけれど、そんなものは踏切の経常費がゼロということを考えればぜーんぶ帳消しだ、と。
この時代に塹壕といえば、まだ終戦から9年の欧州大戦(第一次世界大戦)を思い浮かべる人も多かっただろう。西部戦線では網の目のようにこれが掘られ、実に人的被害の多い消耗戦となったことはよく知られている。
ついでながら塹壕戦での過酷な条件によく耐えた上着がトレンチ(塹壕)コートと呼ばれるようになった。