東京山手急行の痕跡

しかし残念ながら会社を立ち上げたわずか2年後に世界大恐慌が襲う。

投資マインドは大幅に冷え込んだようで、その後は昭和6年に同じ鬼怒川水力電気傘下の渋谷急行電気鉄道(後の帝都電鉄、現京王井の頭線)と合併するなどしたが、結局この路線は実現しなかった。やはり塹壕を何十キロも掘るのは、第一次世界大戦と同じように難儀な仕事だったのだろう。

ちなみに、この東京山手急行の数少ない痕跡が、京王井の頭線の明大前駅のホーム北側に残っている。同線が甲州街道をくぐる跨線橋は、橋脚の間を1本ずつ線路がくぐる構造になっているのだが、それが4本分あるのだ。

このうち左側の線路のない2本分の空間が、未成に終わった東京山手急行を想定して設計されたものである。

 

※本稿は、『地図バカ-地図好きの地図好きによる地図好きのための本』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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地図バカ-地図好きの地図好きによる地図好きのための本』(著:今尾恵介/中央公論新社)

「東が上」の京都市街地図/鳥瞰図絵師・吉田初三郎/アイヌ語地名の宝庫/職人技のトーマス・クック時刻表/非常事態の地図……著者は小学校の先生が授業に持参してきてくれた国土地理院の一枚の地形図に魅せられて以降、半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表、旅行ガイドブックなどを集めてきた。その“お宝”から約100図版を厳選。ある時は超絶技巧に感嘆し、またある時はコレクターの熱意に共感する。身近な学校「地図帳」やグーグルマップを深読みするなど、「等高線が読めない」入門者も知って楽しい、めくるめく世界。