写真提供◎AC
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第48回は「人生のパートナーについて」です。

いまだ日々「寂しいな」と思う

先月酷い腹痛で病院に行ったとき、処置室でのたうち回るほどの痛みが去った後、「もう一度同じ痛みが来たら入院ですね」と言われた。続けて聞かれたのは、「迎えに来てくれる人はいますか」「お近くに家族はいますか」という質問だ。当然「いません」と答える。一人暮らしの人が増え続けている社会で、こういうときそう答える人は決して少なくないだろう。でもそのとき、やはり自分は「ひとりなんだ」という現実を改めて自覚した。

べつにひとりで生きていけるならそれでいい。でも、私はもともとひとりが向いていないのだと思う。この前、実家にいる夢、そのあとに姉家族の家にいる夢を見た。誰かの足音がする、生活の音がするってなんて幸せなんだろう…と浸っていると、その後に自分が誰の音もしない一人の空間で生きているという現実に急に引き戻され、どうしようもない寂しさと絶望感で目が覚めた。

一人暮らしも3年に差し掛かってきたが、最初の発作のような寂しさは過ぎても、やはりいまだ日々「寂しいな」と思う。孤独に心が抉られ、軋むような音がする。在宅ワークになったことで人と会うことがなくなり、ひとりの寂しさで気がおかしくなりそうになることも何度もある。赤の他人とのストレスフルなシェアハウス生活を抜けて、やっと一人暮らしになっても、今度は気心の知れた人と共に暮らしたいという欲がわいてくる。

友人とルームシェアを2回したことがあるが、振り返るととても健やかな暮らしだった。もちろん仲がいいとはいえ他人同士が共に暮らすのだから、生活のささいなことですれ違いや我慢しないといけないことは起きる。でも、台風が近づけば一緒に食料や防災グッズを用意し、転職活動でボロボロのときはひたすら不安や愚痴を聞いてもらえる。一緒にご飯を食べる人がいる、家に帰ったら「おかえり」と言ってくれる人がいる、それだけで生きていける気がした。