人生の残り時間を意識してからは、詩とライブにいっそう打ち込んでいます。私の生きる証しの1つが詩作です。10代で詩に目覚めて以来、心の「裂け目」から言葉がほとばしります。70歳になったのを機に「吟遊詩人」を名乗り、全国ライブをはじめました。そしてそれが、第7詩集であり、入退院詩集でもある『いのちの帰趨』になりました。
腸閉塞の危険性があるので安静にするよう医師に言われましたが、がんの告知2日後には、予定していた東京でのライブを決行。仲間のバンド演奏をバックに、自分の詩をシャウトしました。内容は、宗教哲学から愛猫チビの追悼ソングまでさまざま。これだけは死んでもいいから、なんとしてもやり遂げたかったのです。
もう1つ、比叡山に登ることも、私にとって生きることそのもの。山裾にある自宅から比叡山に登るようになったのは、06年。以来、1人で864回登りました。往復4時間ほどかかります。毎回、山頂で「天・地・人」に向かって3回バク転して祈るのですが、さすがに退院3日後の初のバク転は、思うようにできませんでした。(笑)
現在、抗がん剤治療7クール目で、手足、唇のしびれ、顔面硬直など、抗がん剤の副作用は続いています。医師には「無理しないように」と言われますが、無理はしていません。がん遊詩人としてのライブも比叡山も私にとっては治療であり、セルフケア。つまり、私は自分がやりたいことをやり、それまでと変わらない生活を続けています。
1月の手術後、麻酔から覚めてすぐ、傍らにいた妻の手をとって、「愛してるよ」と言いました。目が覚めたらいちばんに言おうと決めていたんです。その場には医師も看護師も数人いて、みんな笑っていました。このとき妻は、主治医から転移がありそうだと告げられたばかりで、「愛してるよ」どころじゃなかったらしい。
その後も抗がん剤治療を受けながら音楽活動や登山をしていて、私がまったく気落ちしていないことは感じるのでしょう。「この人、へこたれないな」と思っているようです。
じつは、今後5年間の生存計画表をつくりました。何年何月に何の本を出版、とかね。動けるうちに自分のやりたいことをしたい。もちろん妻にも見せています。そんな生き方を見せれば、「ずいぶん楽しそうだね」と家族に安心してもらえると思うのです。