「とにかく母のことをちゃんと知りたかった。だから私はこの映画を作りました」/(c)2021 NOLITA CINEMA-DEADLY VALENTINE PUBLISHING/ReallyLikeFilms
7月17日、「ジェーン・バーキン死去」の報が世界を駆け巡った。享年76。折しも今、娘のシャルロット・ゲンズブールが母と自身の関係性にカメラを向けた映画が話題を呼んでいる。6月後半にシャルロットさんが、当時はまだ存命であった母への思いを存分に語ったインタビューをお届けする(構成:平林理恵)

「もう撮影はやめましょう」

――とにかく母のことをちゃんと知りたかった。だから私はこの映画を作りました。何をどう撮るか、最初から明確なビジョンがあったわけではなく、母を追いかけてみたいという思いだけで走り始めたのです。

公開までには、撮影中断も含めて、本当にさまざまな過程がありました。そしてようやくできあがり、2021年にカンヌ国際映画祭で上映することも叶いました。

 

父は映画監督でミュージシャンであった故セルジュ・ゲンズブール、母は女優ジェーン・バーキン。そんなシャルロット・ゲンズブールが初めてメガホンをとったのが、娘の視点から母を見つめたドキュメンタリー映画『ジェーンとシャルロット』だ。

――撮影は18年、母の東京でのコンサートからスタートしました。日本は、母も私も、そして13年に亡くなった姉のケイト(・バリー)も大好きな国。プロジェクトを動かし始めるには最適な場所でした。

茅ヶ崎の古い旅館で行ったロングインタビューで、私はノートに質問をたくさん書き出し、真正面からぶつけていきました。私の目に映る母をありのまま捉えるには、私たち親子の関係に深く立ち入らなくてはならない。だったら真っ向からいくべきだと考えて。

でも母は、個人的すぎる領域を探り回られているように感じて、すっかり怯えてしまった。私の質問が不用意に微妙な問題に触れてしまうとか、不器用すぎるとか、そのせいで質問の意味や目的のちょっとした取り違えが起こってしまうといったことも、多分あったのでしょうね。

日本での撮影を終え、次の撮影について打ち合わせるためにパリで再会したとき、母が「もう撮影はやめましょう」と言い出したのです。正直言って、そのときは母の気持ちが理解できなかった。私が何か良くないことをしでかしてしまったのか。

けれども、望まないことを無理強いすることもできず、企画はそこで棚上げに。それから、日本での撮影のラッシュ(未編集の収録テープ)を見ることさえなく、2年が過ぎていきました。

その後、ニューヨークで母とそのときの映像を見る機会がたまたまあったんです。そうしたら見終えた母が「よく撮れているじゃない」って。「何であんなふうに言っちゃったのか、よくわからないわ」とも言ってくれたので、撮影を続けることになりました。

パーソナルで親密な場面を撮るという方向性はそのまま、もっといろいろな素材を掘り起こしていこうという流れの中で、私自身も母との関係を深掘りしなければいけないと思いました。

だとしたら、私が映像の外にいて、見えない存在として客観的な立場から母を撮るのはおかしいのではないか。母を追う私自身の姿をも一緒に映し出す作品のスタイルは、このときに決まったのです。

母は完成した作品を見て一言、「これは私のポートレートというより、むしろあなたのポートレートね」。母が言いたかったのは、「私を知るためだけでなく、自分が何者かを探し出すための映画だったのね」ということでしょう。そうかもしれません。

私自身は、母と同じ画面に一緒に映り込むことを通して、私たちの間に横たわる距離感と、それでもあの場で確かに生まれた親密さを描くことができたんじゃないかな、と思っています。