「結果的にはいいものが撮れましたが、やりすぎだったなあとも、実は思っているんです」(撮影:松永学)

自分に許されるギリギリのところまで

映画の中で、パリのヴェルヌイユ通りにある故セルジュ・ゲンズブールの家を、母娘が訪れる美しいシーンがある。シャルロットにしてみれば、家族で暮らし、離婚した母が出ていったあとは、父と2人で暮らした家だ。1991年、父の没後にシャルロットが購入し、30年来そのままの状態で保存していた場所にカメラが入った。

――驚いたのは、撮影のその日まで、母が30年間一度もこの場所を訪れたことがなかったということ。「ここはあなたの場所だから、来るならあなたと一緒。私には来る資格がないと思っていた」という母の言葉を聞くまで、母は来たくないのだとばかり思っていました。父に愛された人にとっては、痛々しい感情が呼び覚まされるばかりの場所だから行きたくないのだろうと。

私にとってあの家は、父についての秘密の場所としてそのままにしておきたい気持ちがありました。あまりにつらくて、あの場所を訪れようと誰かを誘ったこともありません。母はそれがわかっていたのでしょうね。だから、行くなら私と一緒、と。

実はあの場所に行くのは、今もつらい。それもあったし、どう撮るか悩んでいたこともあって、あのシーンはプラン通りにうまくはいかなかったのです。でも母がそんな私をサポートしてくれたので、穏やかで、静かないいシーンになりました。

亡くなった父の家のシーンは、あの場所を訪れることで私たちがどんな気持ちになるのかが知りたくて撮りました。

同じように、亡くなったケイトの子ども時代を映し出すホーム・ムービーを背景に、ケイトのことを話すシーンは、それを見て母がどんな反応をするのかが知りたかった。今の母を知るうえで、避けては通れないと思ったからこそ撮ったわけですが、母を傷つけることにもなるので、自分に許されるギリギリのところまで……と思いました。

でも、やりすぎてしまった。我慢できなくなった母が「もうやめて」と言い、私が「わかった、やめる」とカメラをおろすその瞬間まで、カメラは回っているのです。

母のつらい気持ちも含めて、撮りたかったという思いがやっぱり強くて。結果的にはいいものが撮れましたが、やりすぎだったなあとも、実は思っているんです。