カメラを回しながら母に語りかけるシャルロットさん(左)/(c)2021 NOLITA CINEMA-DEADLY VALENTINE PUBLISHING/ReallyLikeFilms

私が母に確かめたかったこと

映画の冒頭、「ママと向き合うと気まずさのようなものを感じる」と話す娘に、母は「私はあなたに気後れしてた。あなたの存在感は特別で、ほかの子とは違ってた」と打ち明ける。

母ジェーン・バーキンは3度結婚し(2、3回目は事実婚)、父親の違う3人の娘たちを産んだ。その中でシャルロットとの間にだけ「特別な」距離感が生まれてしまったのはなぜなのか。

――理由のひとつは、母も私もとびっきりの恥ずかしがり屋だという性格的なものがあると思います。その点で私たちはとても似ている。

もうひとつの理由は、私が9歳のとき両親が離婚し、私はその後、父親だけと一緒に暮らしてきたということ。しかも12歳で仕事を始め、14、15歳で自立していました。母のもとで成長した姉のケイトや妹のルー(・ドワイヨン)とは関係の結び方が全然違うんです。

父は私が19歳のときに亡くなりますが、その年に私は俳優のイヴァン・アタルと暮らし始め、すぐに子どもができ、私自身の家族との生活が始まりました。

だから、母に打ち明け話をするような親密さは持てなかったし、母と娘の共犯関係のようなものが生まれることもなかった。それもあって、私にはずっと母に確かめておきたいことがあったのだと思います。

それは何か? やっぱり、3人姉妹の真ん中の嫉妬心とでもいうものがあったんです。姉のケイトが1番で、私はいつも2番目。本当はもっと母に近づきたかったし、愛情を注いでほしかったし、母を困らせたりケンカをしたりもしてみたかった。

経済的な自立はものすごく早かった私ですが、大人になるまでの間には母にそばにいてもらいたい瞬間もあって。いえ、本当に必要なときはそばにいてくれたように思うけれど、でも私たちの間にはいつもたくさんの気まずさがあった。

母はこの長い期間をどんな気持ちで過ごしてきたのか? それをどうしても聞いておきたかった。

今回、「母を知るための映画を作りたい」という思いに突き動かされるように映画を撮った背景に、この「距離感」があるのは確かだと思います。それから、10年前に姉のケイトが命を絶ってしまったこと。あのあとの深い哀しみの時期を、私たちはそれぞれ別の場所で経験しなければならなかった。

母はほとんど家から出ないような失意の数年間を過ごし、私は私でパリにそのまま住む気になれず、3人の子どもたちを連れてニューヨークへ。本当につらい時期に離れて暮らし、互いに親愛の情はあったのに、ずっと沈黙していた。それが私たち母娘でした。

考えてみれば、私は以前からずっと母に歩み寄るための理由を探し続けていたような気がします。母の映画を撮りたいと思ったのは、そうすれば「撮影」を口実に母のそばにいられるからだったかもしれません。