「安いね」という評価

欧米では飲食店の値段がびっくりするほど高い、という話はしょっちゅう話題になります。逆に日本以外のアジアは飲食店がやたらと安い、という認識もあるでしょうが、その差は確実に埋まってきており、場合によっては既に逆転も見られるようになりました。

欧米のようにちょっとしたランチが3000円、みたいなレベルが適正かどうかはわかりませんが、そこを目指していかないことには始まらないのです。

もしかしたら、今「食材費の高騰」を理由に一斉に始まった値上げの傾向は、そこに向かうきっかけになるのかもしれません。

それでもやっぱり、お店ごとの話で言えば値上げは恐怖です。なぜなら、このままもし欧米並みの基準に近づいていくなら、その過程で多くの店が淘汰されるはずだから。根本的に日本は飲食店の数が多すぎるのです。

かつて自分の店が「安いね」と言われることは純粋に喜びでした。それは、自分たちが知恵を絞り、物理的な意味で頑張っていることに対する評価だったからです。今でも基本的にはその感覚は変わっていません。

しかし一方で、それは単なる機会損失なのではないかと思うことも増えました。本当なら1200円でも売れるものを1000円に抑えることで、評価は上がるかもしれないけれど、同時にその200円を働く人々に還元するチャンスを失っているのではないか、という後ろめたさもあるのです。

かと言って、「安いね」という評価を失うことはこれまた恐怖です。それは、淘汰される方に回ってしまう可能性が高まることを意味するからです。多くの飲食店は常にそのジレンマと戦っています。