「自分らしさ」と「手の早さ至上主義」

かつてスターバックスが日本中に進出した頃、日本の飲食業界人はその「遅さ」に驚愕したと言います。ドリンクを作るスタッフ個人の手の遅さというより、機材の配置やオペレーションなどが全く提供スピードを重視していないという、どちらかと言うと思想の分野の話です。

これは現在でも、例えばドトールなんかと比べると、外から見ていてわかりやすいかもしれません。日本のカフェチェーンはスピード提供のためのオペレーションやメニュー構成が徹底されていますが、スターバックスはそこをあまり重視していないように見えます。

むしろ個人のセンスや「自分らしさ」のようなものが重視され、お客さんもそれをある種の丁寧さとして歓迎しています。

近年、日本ではそういう思想が認められてきているのを感じます。無理をするよりも、自分らしさ、個性、センス、そういうものが大事であるという世界観。それはもしかしたらワールドスタンダードな感覚なのかもしれません。

実際にスターバックスは大成功を収めており、それが間違いとはとてもじゃないけど言えません。

しかし、飲食店がアナログな部分を大事にしつつ、値上げばかりに頼らず生き残っていくには、「手の早さ至上主義」みたいなもので生産性を上げていくことが手っ取り早く有効な気がしています。

そして、身に付けた手の早さは一生モノの財産になるでしょう。

飲食の労働環境に関して「昔の方が良かった」ことなんて皆無に近いとは思うのですが、これに関してだけはもう少しかつての価値観を取り戻した方が良いのでは? と思うのは単なる懐古でしょうか。何が正解なのかは、自分でも判断がつきかねてもいるのですが……。

 

※本稿は、『お客さん物語:飲食店の舞台裏と料理人の本音』(新潮社)の一部を再編集したものです。


お客さん物語:飲食店の舞台裏と料理人の本音』(著:稲田俊輔/新潮社)

レストランは物語の宝庫だ。そこには様々な人々が集い、日夜濃厚なドラマを繰り広げている――。人気の南インド料理店「エリックサウス」総料理長が、楽しくも不思議なお客さんの生態や店の舞台裏を本音で綴り、サービスの本質を真摯に問う。

また、レビューサイトの意外な活用術や「おひとり様」指南など、飲食店をより楽しむ方法も提案。食にまつわる心躍るエピソードが満載、人生の深遠を感じる「客商売」をめぐるドラマ!