コース料理の価値の凋落を引き起こした「映え」の概念
これまで、いろいろなジャンルのお店をやってきました。和食に始まり、フレンチや各種エスニック、どの店にもコース料理はありましたし、アラカルトで頼まれても、基本的には順番を考えてタイミングよくそれを仕上げて出すことは使命でした。
しかしお客さんの中には常に一定数、それを嫌がる方もいました。そういう方は「出来たものからどんどん持ってきてよ」とおっしゃいます。テーブルがたくさんの皿で埋まると、むしろ嬉しそうです。
年配男性にそういう方が多かったこともあって、彼らは「昭和の宴会」みたいなムードを再現したいのかな、と思っていました。しかしそんな時代を知る人々が少なくなった現在でも、確実にそういうニーズはあるようです。
それでもかつては、誰もがちょっと無理してでもコース料理に大枚をはたいていた気もします。接待や会食でそれは欠くべからざるものでしたし、若者たち、特に男性は、異性の心を射止めるために少し背伸びをしてコース料理を予約しました。
そんな風潮は次第に廃れつつあり、コロナ禍はそれに更なる追い討ちをかけました。もちろんそういう文化は今でも生き残っており、飲食店はやっぱりそれで命脈を保ってもいます。
しかし今後ますます、コース料理というものは、限られた好事家のための密かな楽しみとなっていくのかもしれません。
かつての少年少女たちにとってコース料理とは、憧れの対象だったとも思います。オトナの嗜みであり、高嶺の花。
いつか自分も食べてみたい。でもそんな憧れもまた、確実に薄まりつつあるように思います。経済的な事情ゆえに高嶺の花が咲く標高が更に高くなりすぎてしまった、という切実な面もあるでしょうね。
若い世代でコース料理の価値の凋落を引き起こした要因のひとつが、SNSによる「映え」の概念だったのではないかと密かに思っています。映えを極めるには、カフェのワンプレートで充分、というかむしろその方が適しています。一皿にありとあらゆるものがのっかったスパイスカレーのブームも同じ原理でしょう。